金, 17 3月 2017 00:00

大日堂の仏像調査 ②聖観音菩薩

                           【 大日堂の仏像調査  ②聖観音菩薩 】
2月15日(水)に実施した、大日堂の仏像調査の続編です。
これは、自治区等の公的行事ではなく、私Mの個人的な調査ですので、区長のところ質問・クレーム・贈りものなどをよこさないようにお願いします。
ではY先生、始めましょう。
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今回はこの像です。膝から頭頂までが約20㎝と小ぶりです。
以前から古そうだねという話はしていましたが、今回、頭部と胴は鎌倉時代後半と結論しました。
光背(背中の後ろの後光)は江戸時代初期かもう少し前、膝や台座も江戸時代初期の可能性が高いとのことです。
これらは、壊れたところを後の時代に補修(後補という)したものですが、仏像の世界では当たり前におこなわれています。
ただし、問題は補修のレベル。
江戸時代の仏像は衰退の一途をたどりますが、幸いこの台座などは結構気合が入った優れたものです。
像のレベルが高いので、負けないようにガンバったか?
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実は以前から疑問がありまして、それは、古そうな像であるにもかかわらず、金泥(金色に塗る絵具)が全然剥がれていないということです。
なんだかアヤシイ・・・
ところが今回、実は江戸時代に塗り直ていることがわかりました。
しかも顔の見栄えを損ねないようにするなど、大変丁寧でいい仕事をしているそうです。
なるほどね。余談ながらこの目は玉眼(水晶などが入っている)でした。
チビ助なのに手が込んでいます。
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さて、ではこの仏さまの正体は誰でしょう?
特定する重要ポイントは手の恰好(印相=いんぞう)ですが、残念ながらポキリと折れています。
しかしよく見ると左手が握られていたことがわかります。
ひょっとすると右の画像のように、蓮の蕾を持っていたのでは?
だとすると、聖観音菩薩す。
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 あるいは、こういう恰好(智拳印といいます)だったかも。
そうであれば大日如来です。
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結局、今回は宝冠の様子から聖観音菩薩としました。
私はこの宝冠は全く気にしておらず、どうせ江戸時代にテキトーなものを被せたんだろうとたかをくくっていました。
ところが今回の調査では、明らかに江戸時代より古く、鎌倉後期まで遡る可能性があることがわかりました。
最初から仏像とセットだったんですね。
しかも大変レベルが高く、冠だけでも貴重な文化財だそうです。
(ただし、左右にぶら下がっている部分は江戸時代だそうです)
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ここでご愛敬をひとつ。
宝冠は表面に細かい彫刻がされていますが、この画像で左右の対称的な形の部分には彫刻がありません。なぜか?
実は、過去に外れたことがあったらしく、直した人が表裏逆に取りつけてしまったようなのです。
なお、この形は鳳凰(ほうおう=霊鳥で一万円札にも載っている)です。
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さて、とりあえず全体を通じての結論だけを簡単にまとめますと、以下のようになります。
①仏像の頭部と胴体・宝冠は鎌倉時代後半の優れたものである。
②それ以外の台座や光背は、江戸時代初期かもう少し前と推定される。
③江戸時代に金泥を塗り直している。
④上の②③とも高いレベルの仕事をしており、全体として不自然さは感じない。
このように、なかなかの仏さまなのですが、問題は『ねえ、どっから来たの』なの
です。
私は、江戸末期に廃寺になった玉蓊院の本尊と考えていたのですが、Y氏は
本尊としては違和感があるとのことで、『念持仏』だったのではないか?とのこと
でした。念持仏というのは、個人が身辺に置いたりして拝む仏像です。
でも、鎌倉時代に有力な武士などが念持仏としてつくらせ・・・まではいいのです
がその後どうなったのか、なぜ江戸時代初期にハイレベルの補修がおこなわれた
のか?など疑問は尽きません。
 
 
(投稿 Mさんありがとうございます)