押山城について
押山城の全景(I.Tさんが作成したイメージ絵)
概要
名倉川に架かる「宮古橋」から東にある城ヶ峯(標高約530メートル 押山町中田457番地+458番地付近)の山頂を中心に。
標高約470メートルから約530メートルの尾根に築かれていた山城である。名倉川からの比高は約200メートル前後ある。
☆南方面から押山城を望む
☆北方面から押山城を望む
築城
山田景隆(川手山田氏12代)により、弘治2年(1556年)~3年ごろに築城されたと思われる。
城として使用する以前は、東の郭を盗賊等へ対応する避難場所として使用していたと思われる。築城時に主郭を追加している。
城主
不明。(片桐氏の可能性がある)
領主や城主は、地名や多い名字の可能性がある。
押山には「川手町 川手良則(井伊家筆頭家老)」のように地名の名字はなく、片桐家が
多い。
片桐家は古い歴史を持つ家(現在17代。築城時期の460年と合致するか)があり、
城主の可能性がある。また、その歴史がある片桐家は押山城の近くにある。