城内の構成
・虎口
東側の郭の東を旧街道が通っており、東の郭との間に虎口があったと思われる。
ただ、旧街道から主郭に続く位置に主郭のための虎口があった可能性がある。
虎口の数メートル東側下方に旧街道。旧街道脇に石仏がある。
・東の郭
古くは避難場所と思われる場所にあった郭。
広さは主郭より少し小さく200平方メートルぐらいか。
・主郭
築城する時に主郭を追加したと思われる。郭の広さは300平方メートルぐらいか。
主郭には、現在、秋葉社が祭られている。
登記上は2筆で227㎡の広さがある。感覚ではもう少し広い感じがする。
・主郭の帯曲輪(又は腰曲輪)
主郭の北側から南側にかけて帯曲輪と思われる遺構があり、主郭の守りを固めている。
○南方面
○北方面
・搦手(からめて)
主郭の西側にあり、旧押山熊野神社(永禄8年(1565年)創建)とやぐら平(川手城との連絡に使ったと言い伝えがある)への分岐点に位置する。
・主郭の南側下方の平地(登記上は2筆 1814㎡)
以下の要因を考えて主郭の虎口や屋敷等の名残と思われる
明治期以前(登記制度開始時)からの平地(畑)
平地を経由して秋葉社への道が地籍図にある
回りは山林で、ここだけ(秋葉社部分を除く)が平な土地でかつ畑
主郭(秋葉社)に近く、主郭との一体性が推察できる。
水の手が見つかっていないが、この平地に井戸があったか、瀧澤川の水をくみ上
げていたとも推察できる。(この平地であれば井戸を掘れば、回りに高い山を背負
っており、水は入手できたのではないか)
・主郭と東の郭との連携
2つの郭を繋ぐ遺構(2つの郭間は急峻な斜面)や存在を示す資料がない。
主郭も東の郭も、旧街道から直接に繋がっている。
主郭から旧街道 道が地籍図で確認できる(秋葉社への参道か)
東の郭から旧街道 尾根伝いに比較的平坦な地形
1番考えられるのは、独立した2つの郭が合体して1つの城として機能していたこと。