火, 14 3月 2017 00:00

大日堂の仏像調査 ①大日如来

       【 大日堂の仏像調査  ①大日如来 】
2月15日(水)、大日堂の仏像調査をおこないました。
これは、自治区等の公的行事ではなく、私Mの個人的な道楽です
今回は公的機関の調査員でもある専門家Y氏にも来ていただきました。
既に、昨年から画像で打合せを重ねているので、さっさっと終わるとタカをくくっていたのですが・・・
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まず大日如来です。
一見して江戸時代の像であり、史料でも1600年(関ケ原の合戦の年)造仏とされています。
ところが、像の構造をよくみると、それより古そうだということがわかりました。
その理由は、頭・腰・腕(肘まで)が一体(一木造り)になっているからです。
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前回修復時の記録写真をみるとさらにハッキリします。頭・胴・腰・腕が一体になっています。
実はこのつくり方は平安時代までのもので、それ以後はもっぱら腰・胴体・腕などを別々につくる寄木造りになります。
中央(京都)と田舎のタイムラグを考慮しても、鎌倉初期までのお生まれか!?
いずれにしろ、室町~江戸時代にはありえへん構造の仏さまのようです。
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以前から、大日如来にしては宝冠が軽量級なので気になっていたのですが、聞いてみるとこれは観音菩薩などの菩薩用のものだそうです。
まっ、お父さんが息子の帽子を被ったようなものです。
どこかで安いものを入手して被せたか?
反則だねと言ったら、仏像を調査しているとたまにある、まあ大目に見なさいとのことでした。
ちなみにこれは江戸時代の作。
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両肩にかかっている紫の布は天衣(てんね)と言います。
実は大日如来は向かって右の肩だけにかけるのですが、これは両肩になっており、これまた菩薩のつくり。
反則。ただし、よそでも稀にはあるとのこと。
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その他にも目(玉眼)をはじめ色々報告したいことがありますが、またの機会にします。
とりあえず全体を通じての結論だけを簡単にまとめますと、以下のようになります。
①平安時代か鎌倉初期につくられた可能性がある。
②大日如来としてつくられた可能性と、当初は観音菩薩としてつくられ、その後大日如来に改造された可能性がある。
③削った跡(多分修理跡)が多々ある。顔は本来、もっとふっくらしていたと思われる。
④反則箇所がいくつかあるが、とりあえずご愛敬。
さて、調査を通じて、よくもまあ現代まで守り伝えてきたものだ・・・という感慨に改めてとらわれました。
費用もたくさんかかったと思いますが、お金の無い人はそれなりに、お金のある人は一肌脱いで多額の負担をしたのではないかと思います。
勝ち組負け組・能力主義・自己責任・格差社会・・・などのコトバが氾濫する現代から見ると、こんなふうにして地域のためにお金を出しあうような社会は、なかなか新鮮に感じられますが・・・
 
 
(投稿 Mさんありがとうございます)