火, 11 9月 2018 00:00

大日堂の金的中

             【 大日堂の金的中 】
 
 
押山大日堂の倉庫からこんなものが出てきました。
天保12年(西暦1841年)のもの。保存状態が大変よく、文字も鮮明です。
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【金的中とは?】

江戸時代後期に弓術が盛んとなり、神社などで競射会が盛んに行なわれました。

競技のハイライトは、直径二寸(六㌢)の金箔の紙を張った的=金的(きんてき)

射ることでしたが、的は十五間(二七メートル)の距離にあって、命中は困難でした。

したがって射あてることは大変な名誉であり、後日金的を当てたことを板の額に書

いて神社の拝殿などに奉納しました。

古橋懐古館の西海先生によれば、奥三河では弓術(競射会)が極めて盛ん

だったそうです。中学校に弓道部があるようなところは歴史的に盛んだった地域で

あることが多いとのお話もありましたが、確かに昔の稲武中学校にも弓道部があり

ました。

ついでながら、必ずしも金の的に当てるだけではなく、競射会でたくさん当てたこと

によって奉納するケースもあり、奉納も個人がおこなう場合と一門がおこなう場合

あったそうです。

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【日置(へき)流とは?】

室町中期に大和(やまと)の日置弾正正次の創めた弓術の一派だそうですが、

弓術の世界では最もメジャーな流派だそうです。

その高弟の一人に吉田重賢がおり、以後主に吉田氏により継承されたのが

吉田流で、さらにそこから派生したのが印西派だとのこと。

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【参加者について】
この大嶋さんはいかにも武士らしい名前ですが、実際には武士以外の庶民も普通
に門人となって競射会に参加していたそうです。
スポーツクラブ感覚でしょうか?
なおこの金的中が、本来どこへ奉納されたものかはよくわかりませんが、昔の押山と
上矢作地区は文化的な垣根が低く交流も盛んだったようなので、個人的にはここ
にあっても違和感は感じません。
(参考ながら、押山の三十三観音には上矢作の下地区の人たちが何人も像を
寄進しています。)
それにしても、大嶋さん嬉しかったろうなあ。
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Mさん投稿ありがとうございます