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日, 09 4月 2017 00:00

春の押山

春の押山の写真です

日中は暖かくなってきましたが、朝晩はまだまだ寒いです。

(Iさん 写真ありがとうございます)

 

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水, 05 4月 2017 00:00

29年度押山おまつりです

今年は4月16日!!

29oshiyama

       【 押山上地区の支障木伐採 No.1 川入】
平成28年度の財産区山林の支障木伐採は押山上で実施しました。
今回は川入地区の実施状況を紹介します。
実施前
川入のTさん宅の周りです。市道峯山線から見たところ。財産区の雑木林がTさん宅を飲み込みそう・・・
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実施後
おお、これで20年は大丈夫だ。
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実施前
こちらはTさんの自宅から見た実施前のようす。
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実施後
単に見た目だけでなく、生活する気分も変わりそうですね。
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(投稿 Mさんありがとうございます)
     【 押山上地区の支障木伐採 No.2 中田~的場 】
平成28年度の財産区山林の支障木伐採は押山上で実施しました。
今回は的場~中田での実施状況を紹介します。
実施前
辻の三叉路から集会所方面を見たところ。上の方がボサボサ・・・
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実施後
あ~、さっぱりしたわ。ウグイスは怒っているようですが・・・
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実施前
鉄塔からFさん宅(右下)方面。ジャングル状態。
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実施後
民家の日照はもちろん、冬場の道路の凍結も改善しました。
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伐採の難しい木もあり、苦労されていました。落ちんなよ~!
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実施前
Fさん宅横。これは午後なので日が当たっていますが、午前中はサッパリ・・・
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実施後
こんな風になりまして、午前中から洗濯物が干せるようになったとFさんが喜ばれていました。
(午前中の写真を撮ろうとしましたが、思いっきり逆光でダメでした。すみません。
この写真から想像してください。 m(_ _;)m 
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実施前
的場方面です。
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実施後
奥のほうに昨年伐採した一斗蒔田方面が見えます。押山の洞がサッパリして明るくなりました。
人が住んでいるところ・・・という雰囲気が醸し出されています。
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(投稿 Mさんありがとうございます)
 
                                  【 大日堂の仏像調査 ③地蔵菩薩 】
2月15日(水)に実施した、大日堂の仏像調査報告の3回目です。
前回も述べましたように、これは、自治区等の公的行事ではなく、私Mの個人的な調査ですので、区長のところに無言電話をしたり猫の仔を宅急便で送りつけたりなどの嫌がらせをしないようにお願いします。
ではY先生、そろそろ・・・
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で、今回はこの地蔵菩薩です。
実はこの像、年代の判定が難しく、一見古そうではあるものの、近代的な印象を感じさせる部分もあるんだそうです。
とりあえず膝から上は鎌倉時代としました。
膝から下=割れ目から下は江戸時代の後補だそうで、なるほど、色や彫のラインが鮮やかですね。
いずれにせよ修復したのはエライ!
なお、このお地蔵さまは右足を曲げ、左足を踏み降ろした姿(半跏趺坐=はんかふざ)ですが、いつでも出動できそうなかんじでなかなか頼もしいです。
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今まで、この細くて長い目がいいね・・・と言っていたのですが、実は後補で厚塗りしたさいに目が細くなったようだとのことです。
本来の顔はどうだったのでしょうか?見てみたい。
また、この像も目は玉眼(水晶などが入っている)でした。
なお、以前も紹介したように、右手には杖(錫杖=しゃくじょう)、左手には(宝珠=ほうじゅ=願いをかなえてくれる珠)があったと考えられます。
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ところで、今回、仏像のお好きな方でもあまりご存知ないであろう新発見がありました。
実は以前から、三十三観音の中に、よくわからない像が2体紛れ込んでいるのが気になっていました。しかも壊れている・・
人に聞かれたときなどは、金剛力士(仁王さま)の仲間の特殊部隊だなどといいかげんなことを言ってました。
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ちなみにこれが金剛力士で、門の左右におられます。『コラ~!』(法隆寺で私が撮影)
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ところがY氏によれば、そうではなく、これは掌悪童子(しょうあくどうじ・向かって左)掌善童子(しょうぜんどうじ・同右)と言って、お地蔵さまの侍者だそうです。
で、これが一緒になったところ。めでたしめでたし。 ヽ(^◇^*)/
私が知らなかったのも無理はなく、世間に余り例がないとのことでした。
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参考によその例を探したらやはり少ないようでしたが、こんなのがありました。
和歌山県新宮市にある曹洞宗のお寺の宝珠寺さんの像です。(HPから借用)
ところが、この掌悪童子を見ると左腕を上げていますが、ウチの彼は右腕上げています。なんで・・・?
実は、ウチの彼は折れた左腕を右に接着されるという医療ミスに遭ったらしいのです。どうすべえ (゚ペ)?
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以上、今回のお地蔵さまについてもなかなか波乱に富んだ調査となりました。
いいぞ!押山大日堂!
 (投稿 Mさんありがとうございます)
月, 20 3月 2017 00:00

一斗蒔田のカモシカ

一斗蒔田にある我が家の休耕田に行ったら、こいつに話かけられました。
 
『おう、ひさしぶりだな。何しに来た、ばか』
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『おっと!お前の相手なんかしてられない。オレは忙しいんだ!あばよ』
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しばらく後で市道を走っていたら、パカパカ歩いていました。
なんだ、ヒマそうじゃん・・・・
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(投稿 Mさんありがとうございます)
 
 
 
土, 18 3月 2017 00:00

平成28年度押山総会

3月18日土曜日18:00から押山総会が行われました。
28年度の事業報告、決算、会計報告が行われ
29年度の計画、予算が示されました。
そのほか報告事項、協議事項と活発な意見が交わされました。

多くの出席がありました。20170318 1

 

活発な意見交換がありました。20170318 2

 

なかなか難しい問題のようです。20170318 3

 

副区長の手が早すぎて見えません。20170318 4

 

片桐区長、2年間お疲れ様でした。20170318 5

                           【 大日堂の仏像調査  ②聖観音菩薩 】
2月15日(水)に実施した、大日堂の仏像調査の続編です。
これは、自治区等の公的行事ではなく、私Mの個人的な調査ですので、区長のところ質問・クレーム・贈りものなどをよこさないようにお願いします。
ではY先生、始めましょう。
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今回はこの像です。膝から頭頂までが約20㎝と小ぶりです。
以前から古そうだねという話はしていましたが、今回、頭部と胴は鎌倉時代後半と結論しました。
光背(背中の後ろの後光)は江戸時代初期かもう少し前、膝や台座も江戸時代初期の可能性が高いとのことです。
これらは、壊れたところを後の時代に補修(後補という)したものですが、仏像の世界では当たり前におこなわれています。
ただし、問題は補修のレベル。
江戸時代の仏像は衰退の一途をたどりますが、幸いこの台座などは結構気合が入った優れたものです。
像のレベルが高いので、負けないようにガンバったか?
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実は以前から疑問がありまして、それは、古そうな像であるにもかかわらず、金泥(金色に塗る絵具)が全然剥がれていないということです。
なんだかアヤシイ・・・
ところが今回、実は江戸時代に塗り直ていることがわかりました。
しかも顔の見栄えを損ねないようにするなど、大変丁寧でいい仕事をしているそうです。
なるほどね。余談ながらこの目は玉眼(水晶などが入っている)でした。
チビ助なのに手が込んでいます。
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さて、ではこの仏さまの正体は誰でしょう?
特定する重要ポイントは手の恰好(印相=いんぞう)ですが、残念ながらポキリと折れています。
しかしよく見ると左手が握られていたことがわかります。
ひょっとすると右の画像のように、蓮の蕾を持っていたのでは?
だとすると、聖観音菩薩す。
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 あるいは、こういう恰好(智拳印といいます)だったかも。
そうであれば大日如来です。
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結局、今回は宝冠の様子から聖観音菩薩としました。
私はこの宝冠は全く気にしておらず、どうせ江戸時代にテキトーなものを被せたんだろうとたかをくくっていました。
ところが今回の調査では、明らかに江戸時代より古く、鎌倉後期まで遡る可能性があることがわかりました。
最初から仏像とセットだったんですね。
しかも大変レベルが高く、冠だけでも貴重な文化財だそうです。
(ただし、左右にぶら下がっている部分は江戸時代だそうです)
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ここでご愛敬をひとつ。
宝冠は表面に細かい彫刻がされていますが、この画像で左右の対称的な形の部分には彫刻がありません。なぜか?
実は、過去に外れたことがあったらしく、直した人が表裏逆に取りつけてしまったようなのです。
なお、この形は鳳凰(ほうおう=霊鳥で一万円札にも載っている)です。
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さて、とりあえず全体を通じての結論だけを簡単にまとめますと、以下のようになります。
①仏像の頭部と胴体・宝冠は鎌倉時代後半の優れたものである。
②それ以外の台座や光背は、江戸時代初期かもう少し前と推定される。
③江戸時代に金泥を塗り直している。
④上の②③とも高いレベルの仕事をしており、全体として不自然さは感じない。
このように、なかなかの仏さまなのですが、問題は『ねえ、どっから来たの』なの
です。
私は、江戸末期に廃寺になった玉蓊院の本尊と考えていたのですが、Y氏は
本尊としては違和感があるとのことで、『念持仏』だったのではないか?とのこと
でした。念持仏というのは、個人が身辺に置いたりして拝む仏像です。
でも、鎌倉時代に有力な武士などが念持仏としてつくらせ・・・まではいいのです
がその後どうなったのか、なぜ江戸時代初期にハイレベルの補修がおこなわれた
のか?など疑問は尽きません。
 
 
(投稿 Mさんありがとうございます)
       【 大日堂の仏像調査  ①大日如来 】
2月15日(水)、大日堂の仏像調査をおこないました。
これは、自治区等の公的行事ではなく、私Mの個人的な道楽です
今回は公的機関の調査員でもある専門家Y氏にも来ていただきました。
既に、昨年から画像で打合せを重ねているので、さっさっと終わるとタカをくくっていたのですが・・・
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まず大日如来です。
一見して江戸時代の像であり、史料でも1600年(関ケ原の合戦の年)造仏とされています。
ところが、像の構造をよくみると、それより古そうだということがわかりました。
その理由は、頭・腰・腕(肘まで)が一体(一木造り)になっているからです。
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前回修復時の記録写真をみるとさらにハッキリします。頭・胴・腰・腕が一体になっています。
実はこのつくり方は平安時代までのもので、それ以後はもっぱら腰・胴体・腕などを別々につくる寄木造りになります。
中央(京都)と田舎のタイムラグを考慮しても、鎌倉初期までのお生まれか!?
いずれにしろ、室町~江戸時代にはありえへん構造の仏さまのようです。
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以前から、大日如来にしては宝冠が軽量級なので気になっていたのですが、聞いてみるとこれは観音菩薩などの菩薩用のものだそうです。
まっ、お父さんが息子の帽子を被ったようなものです。
どこかで安いものを入手して被せたか?
反則だねと言ったら、仏像を調査しているとたまにある、まあ大目に見なさいとのことでした。
ちなみにこれは江戸時代の作。
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両肩にかかっている紫の布は天衣(てんね)と言います。
実は大日如来は向かって右の肩だけにかけるのですが、これは両肩になっており、これまた菩薩のつくり。
反則。ただし、よそでも稀にはあるとのこと。
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その他にも目(玉眼)をはじめ色々報告したいことがありますが、またの機会にします。
とりあえず全体を通じての結論だけを簡単にまとめますと、以下のようになります。
①平安時代か鎌倉初期につくられた可能性がある。
②大日如来としてつくられた可能性と、当初は観音菩薩としてつくられ、その後大日如来に改造された可能性がある。
③削った跡(多分修理跡)が多々ある。顔は本来、もっとふっくらしていたと思われる。
④反則箇所がいくつかあるが、とりあえずご愛敬。
さて、調査を通じて、よくもまあ現代まで守り伝えてきたものだ・・・という感慨に改めてとらわれました。
費用もたくさんかかったと思いますが、お金の無い人はそれなりに、お金のある人は一肌脱いで多額の負担をしたのではないかと思います。
勝ち組負け組・能力主義・自己責任・格差社会・・・などのコトバが氾濫する現代から見ると、こんなふうにして地域のためにお金を出しあうような社会は、なかなか新鮮に感じられますが・・・
 
 
(投稿 Mさんありがとうございます)
日, 12 2月 2017 00:00

雪が降りました

2月10日、11日と雪が降りました

12日はよく晴れました

 

田んぼも真っ白です

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ウサギの足跡がありました

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串原方面に向かう出合大橋の工事も進んでいます

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横から見ると巨大な要塞のようです

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天気の良い一日でした