押山町について

押山町は愛知県豊田市の東北部にあり、岐阜県に隣接しています。標高は約310m~約730mです。

愛知県東北設楽郡稲武町大字押山から2003年に愛知県東加茂郡稲武町大字押山となり、2年後の2005年(平成17年)4月1日には周辺5町村とともに豊田市へ編入されました。

 

押山ってどんなとこ?

 

1 山が迫り、ススベ地区や峰山地区を除いて平坦地が少なく山が押し出したような地形から、このように呼ばれるという説が有力です。

2 浜松~恵那を結ぶ国道257号線が地区の北西部を通り、この国道257号線と矢作川沿いの日向地区から山上の峰山地区に至る市道押山線に沿って集落が点在する典型的な農山村です。

3 戸数は現在約50戸ほどですが、江戸時代後半は40戸ほどで推移しており、昭和30~40年代の高度経済成長期は約60戸を数えました。

4 地内南側の尾根上や南西の滝沢地内には中世の見張り所があったといわれています。「ヤグラ平」、「屋敷」、「的場」などの地名が往時をしのばせ、また、江戸時代に高札がかかった「高札場」などの地名も残っており、古い歴史を持つ地区です。

5 集落の中ほどに位置する糀屋地内には江戸時代・正徳年間に創建されたと考えられる押山熊野神社があります。伊邪那美命、天照大御神をはじめ十柱の神を祀り、4月の例祭、11月の新嘗祭には地区を挙げて祭典を行います。とりわけ4月の例祭は中山神社(旧岐阜県串原村)の流れを汲む大垣内流のお囃子もあり、地区住民をはじめ多くの人々で賑わいをみせます。

6 生業は、昭和30年代半ばまでは農林業に従事する専業農家が多く、ほとんどの家で牛や鶏、豚などを飼育していました。高度経済成長時代の到来とともに豊田市中心部の自動車関連企業などに勤める人が増えて農林業は衰退しました。

7 地区内にはかって小学校がありましたが、昭和57年3月に閉校され、その敷地跡には公共施設である押山地区振興施設が建ち、区民の憩いの場となっています。