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2016年 春の風景
押山の春の風景。
きれいですね。
花びらがやさしいです。
押川大滝にさく花たち。
Iさん写真提供ありがとうございました。
まこさの桜 PartⅡ
まこさの桜
平成27年度 押山自治区総会
3月12日、押山振興施設にて平成27年度の押山自治区総会が行われました。
事業報告や、会計報告、そのほかいろいろな議題が話し合われました。
今年は押山の人口が増えるという、うれしいお知らせもありました。
区長が熱く語ります
そのあとの懇親会も盛り上がりました
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的場 支障木伐採
中組(的場)の支障木伐採が2月末に完了しました。
(伐採前) まず全体のようすを紹介。雑木が家々や道路に迫っています。 ( ̄Д ̄;;
(伐採後)よしよし、これで20年以上は大丈夫! v('▽^*)
(伐採前)昔の消防器具庫の前です。こんな木が倒れたら道路はタイヘン。 (ノ゚ο゚)ノ
(伐採後)これで安心。皆さんの要望で栗の木の一部は残しました。 (^○^)
(伐採前)山頂の氏神様の祠近くですが、どこにあるかよく見えません。 (゚.゚*)(*゚.゚)
(伐採後)氏神様の祠はもちろん、遠くもバッチリ見えます。 (o^∇^o)ノ
(伐採後・おまけ)東の尾根の山神さま。後ろの巨木はあえて残しました。
秋の紅葉がお楽しみです。 ((o(^-^)o))
(Mさん投稿ありがとうございます)
押山の記憶(東海豪雨 平成12年9月)
三本栃のTさんから東海豪雨の写真を拝借しました。
押山の大事な記憶遺産なので紹介します。
奥畑川が氾濫して、田んぼが濁流を被っています。道路も崩れました。
奥の方は平林。
市道峯山線。旧大日堂(現上集会所)の前です。山が崩れ、
ゴミステーションも倒壊。
現在、この崩れた斜面は擁壁(ようへき)で覆われています。
市道峯山線。峰山の峠の少し下です。
市道峯山線。三本栃前の灯籠のそばです。
向こうの山裾(小田子の乙原)にある大きな家の屋根がぺしゃんと
潰れているのも見えました。実感が湧くのにしばらく時間がかかりました。
(Mさん投稿ありがとうございます)
押山の昔のお祭り その2
前回に続き、昔のお祭りの写真を紹介します。
今回は昼祭りの余興で、全て三本栃のTさんから拝借したお宝写真。
【 平成2年(1990年)】
この頃は、まだ神社まで車が入って来れなかったので、歌手も糀屋から徒歩で
登っていただきました。ご苦労さま。
でも、境内には特設会場が設けられ、地元有志による前座も充実して、たい
そうな盛り上がりでした。
Tさんの大胆な撮影構図が光る! まさに押山の土門拳か木村伊兵衛!?
歌に聴き惚れる善男善女。 左の売店はおでん、綿菓子、ヨーヨー風船など。
【 年代不詳 】
翌年(平成3年)はえんじ色の洋装をした歌手が屋外で歌っていたので、
これは翌々年くらいではないでしょうか?
聴衆との触れ合いもたっぷり。
このときは拝殿でやったんですね。
(Mさん、Iさん投稿ありがとうございます)
押山の昔のお祭り その1
昔の写真が多く集められました。
こちらのブログでもいくつか紹介したいと思います。
写真館を別に作ってそちらに集めたいと考えています。
お宝写真の一部を紹介します。今回は山車の引き回しのようす。
【 平成13年(2001年)】
これと次の写真は三本栃のTさんから拝借したものです。
場所は大日堂の上。前年の東海豪雨で崩れた斜面が無残な姿を見せています。
横笛を吹いているのは現区長。若い!
左の山はまだ擁壁(ようへき)がなく、昔の姿です。
正面に見える建て替え前の大日堂も貴重な画像。小学生や通行人がひと休
みしたりおしゃべりするのに恰好の場所でした。
当時あった右の案内図の下に『川口くん大好き』とかいう落書きがありましたが、
川口くんやこれを書いた人は今どうされておられるでしょうか?
【 昭和30年(1955年)頃 】
これと次の写真は自治区役員でもある瀧澤のITさんから拝借しました。
まだ若い衆だったころの押山の長老たちがおられます。女性がどの家の人かに
ついては残念ながら一部しかわかりません。
この年の全国的出来事は、キンチョール発売・トヨタクラウン発売・ヘレンケラー
が来日・〽だれかさんがだれかさんが・・・の『ちいさい秋みつけた』が作曲されたなど。
【 昭和24年(1949年)】
上平の庭での回り打ち。意外なことに敲いている人数は今と同じくらいです。
この年の出来事は、藤山一郎の青い山脈・サザエさん連載開始・湯川秀樹に
ノーベル物理学賞・フジヤマのトビウオ(水泳)・ 〽夏が来れば思い出す遥
かな尾瀬・・・の『夏の思い出』が作曲されたなど。終戦後4年経ち、日本にも
明るい兆しが出始めた頃でしょうか。
(Mさん、Iさん投稿ありがとうございます)