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押山の記憶(東海豪雨 平成12年9月)
三本栃のTさんから東海豪雨の写真を拝借しました。
押山の大事な記憶遺産なので紹介します。
奥畑川が氾濫して、田んぼが濁流を被っています。道路も崩れました。
奥の方は平林。
市道峯山線。旧大日堂(現上集会所)の前です。山が崩れ、
ゴミステーションも倒壊。
現在、この崩れた斜面は擁壁(ようへき)で覆われています。
市道峯山線。峰山の峠の少し下です。
市道峯山線。三本栃前の灯籠のそばです。
向こうの山裾(小田子の乙原)にある大きな家の屋根がぺしゃんと
潰れているのも見えました。実感が湧くのにしばらく時間がかかりました。
(Mさん投稿ありがとうございます)
押山の昔のお祭り その2
前回に続き、昔のお祭りの写真を紹介します。
今回は昼祭りの余興で、全て三本栃のTさんから拝借したお宝写真。
【 平成2年(1990年)】
この頃は、まだ神社まで車が入って来れなかったので、歌手も糀屋から徒歩で
登っていただきました。ご苦労さま。
でも、境内には特設会場が設けられ、地元有志による前座も充実して、たい
そうな盛り上がりでした。
Tさんの大胆な撮影構図が光る! まさに押山の土門拳か木村伊兵衛!?
歌に聴き惚れる善男善女。 左の売店はおでん、綿菓子、ヨーヨー風船など。
【 年代不詳 】
翌年(平成3年)はえんじ色の洋装をした歌手が屋外で歌っていたので、
これは翌々年くらいではないでしょうか?
聴衆との触れ合いもたっぷり。
このときは拝殿でやったんですね。
(Mさん、Iさん投稿ありがとうございます)
押山の昔のお祭り その1
昔の写真が多く集められました。
こちらのブログでもいくつか紹介したいと思います。
写真館を別に作ってそちらに集めたいと考えています。
お宝写真の一部を紹介します。今回は山車の引き回しのようす。
【 平成13年(2001年)】
これと次の写真は三本栃のTさんから拝借したものです。
場所は大日堂の上。前年の東海豪雨で崩れた斜面が無残な姿を見せています。
横笛を吹いているのは現区長。若い!
左の山はまだ擁壁(ようへき)がなく、昔の姿です。
正面に見える建て替え前の大日堂も貴重な画像。小学生や通行人がひと休
みしたりおしゃべりするのに恰好の場所でした。
当時あった右の案内図の下に『川口くん大好き』とかいう落書きがありましたが、
川口くんやこれを書いた人は今どうされておられるでしょうか?
【 昭和30年(1955年)頃 】
これと次の写真は自治区役員でもある瀧澤のITさんから拝借しました。
まだ若い衆だったころの押山の長老たちがおられます。女性がどの家の人かに
ついては残念ながら一部しかわかりません。
この年の全国的出来事は、キンチョール発売・トヨタクラウン発売・ヘレンケラー
が来日・〽だれかさんがだれかさんが・・・の『ちいさい秋みつけた』が作曲されたなど。
【 昭和24年(1949年)】
上平の庭での回り打ち。意外なことに敲いている人数は今と同じくらいです。
この年の出来事は、藤山一郎の青い山脈・サザエさん連載開始・湯川秀樹に
ノーベル物理学賞・フジヤマのトビウオ(水泳)・ 〽夏が来れば思い出す遥
かな尾瀬・・・の『夏の思い出』が作曲されたなど。終戦後4年経ち、日本にも
明るい兆しが出始めた頃でしょうか。
(Mさん、Iさん投稿ありがとうございます)
第7回 大日堂に伝わる謎の菩薩像
押山の11月(昨年の秋の写真)
昨年11月のものですが、とてもきれいな写真をいただきました。
自分で見ているだけだともったいないのでUPします。
( Iさん 写真ありがとうございます)
第6回 大日堂に伝わる磬子
押山の文化財を紹介します (o^∇^o)ノ
(第6回 大日堂に伝わる磬子)
今回は磬子(けいす)です。
≪ これです ≫
鈴(りん)で直径が六寸(18cm)以上でお寺用のものを磬子(けいす)
と呼ぶそうです。これは34㎝。
大日堂の磬子の澄んだ音色と長い余韻は特筆もので、善光寺の大修復などを
手がけた目利きの方からも絶賛されました。
≪ よく見ると文字が・・・ ≫
三州設楽郡押山村 大日山玉翁院黙宗代 施主 熊八母 源四郎母 孫右衛門父
平兵衛母 太平衛母 願主 豊八 作弥 當村隣村惣連中
と彫られています。どこの人たちでしょう?
個人情報保護のためはっきり言えませんが、熊八さんは『か〇だ〇ら』又は『お〇え』で、
源四郎さんは 『し〇や〇き』 の可能性があります。
だとすると、江戸時代の安永~寛政(1772~1801)頃の作か?
(投稿 Mさん ありがとうございます)
押山にも寒波襲来!!
22時過ぎの押川大滝前の温度計です
この時間でここまで冷え込むことはほとんどありません
朝方に-13度まで下がりました。
さすが愛知の北海道といわれるだけありますね。